top of page

 2022年3月、八潮RUNrun部がある困難を駆け抜けた。それは「東海道五十三次走破」。彼らの目的は 中学生時代の恩師、廣橋先生との再会を果たすこと。彼らはいくつもの困難の中で、必死に辿り着ける方 法を探す。

次第に明らかになる”本当に大事なもの”。深遠であるその存在を、僕らは”夢”と呼んだ。

#プロローグ

 2022年春。品川区八潮に住む幼馴染5人で結成されたランニングチーム「八潮RUNrun部」がとある挑戦をした。部の5周年を記念した企画として、部の創設に関わった恩師、廣橋智美先生に再会するため、東海道五十三次を走破するというのだ。東京の日本橋から京都の三条大橋まで約500kmの道のりを、たった11日で走破する。無謀とも言える挑戦に飛び込んだ八潮RUNrun部の5人に、道中数々の試練が襲い掛かる。だが、彼らは諦めなかった。辿り着ける方法を模索しながら、前に進み続ける彼らを突き動かしたものとは何か。彼らがこの旅で見つけた “本当に大事なもの” とは何なのか。八潮RUNrun部の5人でなければ成し遂げられなかった、東海道五十三次走破の内実に迫る物語。 

#あらすじ

八潮RUNrun部とは

​登場人物

2018 年 3 月に結成した、地元品川区八潮を中心に活動する現在、幼馴染 5 人によるランニングチーム

​チームコンセプト​

「Never giving up because we can do it! 」

仲間の 優しさのおかげで諦めず「走ること」ができた。 この「諦めないからできる」という、根性論のよ うな言い回しも理解し難いものであったが、ランラン部の「諦めない」とは、ひとりではできないことも仲 間がいれば前に進めるよね。という意味が込められている ──

ランラン部のマーク

​シンボルマーク

きっかけ

​八潮RUNrun部結成秘話から東海道五十三次走破を決意するまで

八潮 RUNrun 部の成り立ち 

2017 年頃、当時担任で陸上部の顧問であった廣橋智美先生と陸上部員の谷口貴俊らが受験後行っていた早朝ランニングから始ま る。

同時期、鈴木杏汰は同じクラスの女子生徒に片想いをしていた。当時、 恰幅の良かった鈴木は男磨きのためだ と言って、谷口貴俊らの早朝ランニングに飛び入り参加をする。 この出来事をきっかけに八潮 RUNrun 部の原型が出来上がる。 鈴木杏汰の男磨きプロジェクトと共に、登校前の早朝ランニングのう わさがクラスに広まり、井沢賢人も健康のためだと言って早朝ランニ ングに参加する。

2018 年 3月 20 日品川区立八潮学園 ( 当時 ) を卒業後、「八潮 RUNrun 部」 と自称し春休み期間を通してランニングを始める。

オリジナルメンバー

写真 : オリジナルメンバー
左から 小林千紘氏 井沢賢人氏 田中優兵氏 鈴木杏汰氏 谷口貴俊氏

2018 年 3 月 20 日

八潮 RUNrun 部と東海道

2018 年 4 月、廣橋先生に関する一報がきた。先生が学校を退職し 新たな夢である民宿を開くというの である。そのために先生は

1 年間、東海道品川宿の民宿で宿泊業の修行をすることになった。

「八潮 RUN run 部」はそれを機にランニングコースを旧東海道にし、よく先生に会いに行っていた。

 

2019 年春 廣橋先生は、品川宿での修行を終え愛知県の鳴海宿から自転車を走らせ京都に上洛した 。 この頃から八潮 RUNrun 部は「東海道五十三次 を走って廣橋先生に会いに行こう」といっ た会話が始まる。

写真 上 :

ゲストハウス品川宿で修行中の廣橋先生に歓迎される ランラン部
2018 年 9 月 29 日

写真 下 :

ゲストハウス品川宿前で廣橋先生とお別れ前の集合写真

2019 年 3 月 31 日

ランラン部と廣橋先生
ランラン部と廣橋先生

 東海道五十三次走破を決意 

2020 年、新型コロナウイルスの蔓延と共にランラン部のメンバーは 受験生となり、約 1 年 間活動を休止する。
2021 年 4 月 活動を再開する。この時から部長の鈴木とGM の井沢は 来年 2022 年にランラン部 結成5 年目を迎えるにあたって、何か大き
な企画をしようかと密かに話し始める。 井沢は、前々から口にしていた「東海道五十三次を走って廣橋先生 に会いに行こう」という会話を思い出し、鈴木に「ついに有言実行しようではないか」と切り出す。 鈴木は賛成し、ふたりは企画発表に向け準備を開始した。

GMと部長

写真  :

八潮RUNrun部の井沢GMと鈴木部長
2022年 3 月 10 日

bottom of page